早稲田 大学 バレー 部 - 早稲田大学

早稲田 大学 バレー 部 - 早稲田中学高校バレー部

早稲田 大学 バレー 部 - バレー

大学設置 創立 学校種別 設置者 本部所在地 一丁目104番地(一丁目6番1号) : 学生数 50,221 キャンパス (東京都新宿区) (東京都新宿区) (東京都新宿区) 喜久井町(東京都新宿区) (埼玉県所沢市) 本庄(埼玉県本庄市) 北九州(福岡県北九州市) 東伏見(東京都西東京市) 日本橋(東京都中央区) 上石神井(東京都練馬区) エクステンションセンター早稲田校(東京都新宿区) エクステンションセンター八丁堀校(東京都中央区) エクステンションセンター中野校(東京都中野区) 学部 研究科 情報生産システム研究科 環境・エネルギー研究科 教職研究科 ウェブサイト 早稲田大学(わせだだいがく、: Waseda University)は、一丁目104番地(一丁目6番1号)に本部を置くのである。 に設置された。 は 早大(そうだい)。 大隈重信立像(作) 登台した学生はの内規あり がによる下野後に設立したを前身とする。 (9年)に日本の私立大学ではなどと共に最も古い段階でに基づく大学となった(詳しくは参照)。 時点で、10ののもと 13学部・ 25研究科(大学院)を設置している。 国際交流が盛んで、特にからの外国人が多い。 大隈重信が明治の代表的な政治家の一人であり、流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されていることから政治経済学部を看板学部とし、を中心に政界・財界に多くの人材を輩出しているのをはじめとして、出版、新聞、文学などの分野でも多くの卒業生が活躍している。 英国の教育専門誌『』による2017年の日本版ランキングでは、私大1位に認定された。 早稲田大学は、東京専門学校時代から、「特別認可学校規則」やの特例適用、大学令による私立大学として最初期の認可などを受けてきた。 政治学、法律学、文学、商学、理工学、教育学、芸術、スポーツなど様々な分野で、近代日本国家の教育・研究分野の形成をリードしてきた学校であり、上述の慶大と共に「 私学の雄」と並び称され、私立大学の最高峰に位置付けられることが多い。 早稲田大学の偏差値・入試難易度は、慶應義塾大学と並び私立大学の中で最高クラスの水準を誇っている。 は稲門会(とうもんかい)と称され、 早稲田大学校友会に登録している「登録稲門会」に限っても1300を超える団体が存在し、国内有数のとなっている。 建学の精神 (2年)当時の総長は、前身となるの創立30周年記念祝典において、早稲田大学教旨を宣言した。 「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を基本理念としている。 早稲田大学教旨 早稲田大学は学問の独立を全うし、学問の活用を効し、模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す。 早稲田大学は学問の独立を本旨と為すを以て、之が自由討究を主とし、常に独創の研鑽に力め、以て世界の学問に裨補せん事を期す。 早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て、学理を学理として研究すると共に、之を実際に応用するの道を講じ、以て時世の進運に資せん事を期す。 早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て、立憲帝国の忠良なる臣民として個性を尊重し、身家を発達し、国家社会を利済し、併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す。 早稲田大学教旨は、、、、、、などが草案を作成し、大隈重信が校閲のうえ発表した。 戦後()、「立憲帝国の忠良なる臣民として」の14文字は「主権在民を謳った新憲法にふさわしくない」 として教旨から削除されたが、内の「早稲田大学教旨」の碑に刻まれた語句については「思想の変遷を知る歴史的文書としてそのままに保存することがかえって記念碑の趣旨に副う」 として削られることはなかった。 現在、石碑は正門の外側左に移設され、大学の外から誰でも自由に見られるようになっている。 建学の祖グイド・フルベッキ 『早稲田大学百年史』に「最も直接的な建学の基礎的感化を与えたのはである。 フルベッキがなかったら、早稲田大学はなく、建っても、勿論、ひどく形式、精神の異なったものとなったであろう」という記述がある。 大隈重信はの「」でフルベッキに英語を習った。 教材は、などであった。 「アメリカ独立宣言を起草したは、合衆国にのを実行するためには青年を教育することが必要としてを創設した。 ジェファーソンと同じ考えで私は早稲田大学を創設した」と述べ、「フルベッキなくして大隈なし、大隈なくして早稲田大学なし」としてフルベッキを 建学の祖と称えている。 大学名の由来 早稲田大学は、1882年(明治15年)10月21日に創設した「」を前身とする。 当初は、創立者・大隈重信の別邸がに、また、校舎が同郡にあったことから、関係者には「早稲田学校」「戸塚学校」と呼ばれていたが、最終的には「東京専門学校」と名付けられた。 1892年頃には、専門学校の別名として「早稲田学校」と呼ばれるようになった。 以後、1902年9月2日付で、専門学校から大学への昇格を機に、大隈によって代表される早稲田の地名をとり「早稲田大学」と改称した(常用漢字の改正以前は、「稲」は、「旧」ではなく「臼」の「稻」を使い、「早稻田大學」と表記していた。 卒業時の学位記を納める楯には現在も旧字体が使われている)。 沿革 (沿革節の主要な出典は公式サイト ) 1882年(15年)に大隈重信が創立したが前身である。 その後1902年(明治35年)に早稲田大学と改称、さらに1920年(9年)2月5日に大学令に基づく大学設立が認可された(これは慶應義塾大学と共に私立大学として初 )。 年表 (早稲田大学初代学長・第3代総長)• 1781年(天明元年)- 佐賀藩第8代藩主が儒学者のに命じ藩校「」を設立。 1844年(弘化元年)- 早稲田大学創立者が弘道館入学。 1856年(安政3年)- 大隈重信、蘭学寮に入学。 1865年(慶応元年)- 、大隈重信が、長崎に佐賀藩校「」設立。 フルベッキから英語を学ぶ。 1881年(明治14年)10月 -。 1882年(明治15年)• 4月 - 大隈重信、ら鷗渡会員に学校設立の話を持ちかける。 8月 - 校名を と決定。 9月 - 「私塾設置願」を南豊島郡長を経て東京府知事に提出(28日認可)。 10月21日 - 開校式を挙行。 入学生80名。 校長の開校宣言、の演説、の祝辞に続いて小野梓が登壇し、「学問の独立」の精神を宣言。 、、、を設置。 1883年(明治16年)• 5月 - 講師教員学生合同懇親・大運動会、に開催(の始まり)。 9月 - 予科を設置(1年)。 政治経済学科を「政治学科」と改称。 理学科を廃止して設置。 1884年(明治17年)• 6月 - 学生団体「同攻会」を結成。 7月 - 第1回卒業式を挙行。 9月 - 政治経済学科を政治学科と改称。 1885年(明治18年)• 6月 - 評議員会、移転案を否決。 また、法律学科廃止案についても存続と決定。 9月 - 高等科(のちの研究科)を設置。 土木工学科の学生募集を停止。 12月 - を結成。 1886年(明治19年)• 1月 - 死去。 5月 - を発足させ、『早稲田講義録』を発行。 後に軍入隊時のも校外生のうちの一人であった。 8月 - 私立法律学校特別監督条規制定。 9月 - 学部制を施行し政治学科・法律学科・英学科をそれぞれ政学部・法学部・英学部と改称。 を4年に延長。 1887年(明治20年)• 5月 - 大隈重信の寄進により赤煉瓦の大講堂落成(が同講堂1階に移転)。 9月 - 政学講義会、東京専門学校出版局と改称(の前身)。 1888年(明治21年)• 3月 - 連合大討論会に参加。 6月 - 文部省令「特別認可学校規則」公布にともない学部制・高等科の廃止。 3年の政治科・法律科(司法科=第一法律科)・行政科(第二法律科)・英学本科・兼修英学科を設置。 1890年(明治23年)• 7月 - で・・・(講師)、(卒業生)当選。 9月 - らによってを創設。 に(卒業生)選出。 1891年(明治24年)• 4月 - 第1回擬国会を開催。 9月 - 政学部・法学部・文学部の3学部制を復活。 10月 - 『』創刊。 1893年(明治26年)• 8月 - 各地の校友会と連携して巡回学術講演会を開催。 9月 - を新設(2年)。 12月 - 告示により司法省指定学校となり、判事検事登用試験の受験資格が法律科に与えられる。 1894年(明治27年)1月 - 校友会、初の推選校友10人を決定。 1895年(明治28年)4月 - 早稲田倶楽部(体育部の前身)発会。 1896年(明治29年)• 1月 - 早稲田法学会発足。 11月 - 早稲田文学会発足。 1897年(明治30年)• 2月 - 体育部規則を制定。 3月 - 早稲田学会設立、機関誌『早稲田学報』発刊。 七徳堂(体育館)開館。 7月 - 創立15周年祝典に大隈重信臨席。 1898年(明治31年)• 6月 - 成立(11月総辞職)。 9月 - 文学部に史学科新設。 11月 - 東京府知事、東京専門学校の社団法人化を認可。 1899年(明治32年)• 3月 - 高等予科(現:)を開設。 7月 - 卒業生に認可。 9月 - からの留学生を受け入れる。 10月 - 早稲田経済学会発足。 1900年(明治33年)• 2月 - 学監を新設(が就任)。 3月 - による認可学校となる。 9月 - 初めての海外留学生2名(と)をに派遣。 1901年(明治34年)• 4月 - 文部大臣、高等予科および大学部、を開設するための改正学則を認可。 11月 - 出身の体育部長によりが設置される。 4月 - が早稲田大学に挑戦し、部によるが行われる。 9月 - 「早稲田大学」と改称(文部大臣 )。 大学部とを新設し、大学部に、、を設置。 式典でが演説。 10月 - 竣工(初代館長・)。 12月 - が 早稲田大学への改称を告示• 1903年(明治36年)• 4月 - 高等予科を第一(政治経済学科)、第二(法学科)、第三(文学科)、第四(、新設)に分割。 9月 - (現:)設置。 10月 - 早稲田社会学会結成。 11月 - 最初のを球場で開催。 1904年(明治37年)• 4月 - によるとなる。 9月 - 大学部にを設置。 1905年(明治38年)• 4月 - が安部磯雄部長引率のもと日本の野球チームとして初のアメリカ遠征に出発(26戦7勝19敗、6月帰国)。 9月 - 清国留学生部を設置(1910年廃止)。 学習院元院長より『子本疏義』第59 1巻()が寄贈。 1906年(明治39年)• 2月 - (会長大隈重信)、東京同仁医薬学校(校長)を早稲田大学構内に設置。 11月 - 応援の過熱により早慶野球戦中止(1925年復活)。 1907年(明治40年)• 4月 - 校長・学監制を廃し、総長・学長制を採用。 大隈重信総長(名誉職)・学長が就任。 10月 - 制定(作詞:、作曲:)。 大隈重信、の所有地寄附を表明。 大隈像(初代)建立。 11月 - 東京同仁医薬学校付属の早稲田同仁医院開設。 1910年の早稲田大学(中央校庭から北側を見た光景)• 1908年(明治41年)• 2月 - 理工科と医科を創設するための第二期拡張基金150万円の募集発表。 穴八幡下の4,096坪を購入(現・戸山キャンパスの一部)。 4月 - 第五高等予科()発足。 5月 - 第二期拡張計画のため皇室から3万円を下賜される。 学校組織をとする。 1909年(明治42年)• 7月 - 第二期拡張計画において理工科優先、医科後回しの方針を決定。 9月 - 大学部理工科機械学科、電気学科開講。 1910年(明治43年)• 5月 - 校外教育部設置。 9月 - 大学部理工科採鉱学科、建築学科開講。 1911年(明治44年)• 5月 - 開校。 恩賜記念館竣工。 11月 - 理工科製図教室・実験室竣工。 政治学会(学生団体)発足。 東京同仁医薬学校および付属同仁医院廃止。 在校生を、のに移す。 (で天野派の総帥として活躍、1956年に早大出身者で初の内閣総理大臣となる)• 1915年(大正4年)• 8月 - がに入閣し、が後任の学長となる。 9月 - 記念事業計画を発表。 1916年(大正5年)• 5月 - 第一から第五の高等予科をそれぞれ高等予科第一部、第二部、第三部、第四部、第五部と改称する。 10月 - 第2次大隈内閣総辞職。 御大典事業の一環として、が東京支配人蘆田順三郎、鴻池監督を務めた原田二郎(学苑校賓)と連名での土地2万坪を早稲田大学に寄贈。 12月 - 起こる。 プロテスタンツ(恩賜館組) による母校改革運動起こる。 1917年(大正6年)• 4月 - 高等予科のを2年に延長。 6月 - が新聞で報じられ、世間の関心事となる。 9月 - 革新団(支持派)による校門占拠事件発生。 大学部理工科応用化学科設置。 11月 - 維持員会、天野為之の講師および維持員辞任を承認。 1918年(大正7年)• 7月 - がまで開業。 10月 - 前年9月から空席だった学長にが就任。 早稲田大学賛助会発足。 1919年(大正8年)• 1月 - 大学基金募集開始(目標額150万円)。 2月 - 結成。 4月 - 文学科を哲学・文学・史学の3専攻制とする。 6月 - 実施準備委員会を設置。 11月 - 結成(民人同盟会から分派)。 9月12日 - 東京府に早稲田大学設立認可申請。 9月19日 - 『』にて早稲田大学校外生新学年募集。 1920年(大正9年)• 2月2日 - 大学令による認可について裁可(上奏裁可書文書番号No. 23)を受ける• 2月5日 - 大学令による早稲田大学の設立が文部大臣により認可される(文部省第36号)。 2月14日 - 豊多摩郡役所が早稲田大学設立認可を大学に通知。 3月31日 - 早稲田大学学則、文部大臣の認可を得る。 、、、、、、を置き、学部と高等学院のを3年とする。 4月1日 - 各学部第1学年及び高等学院第1学年を開設。 4月 - に商科(3年制)を新設。 1921年(大正10年)• 4月 - を第一部(3年制・文科と理科)・第二部(2年制・文科のみ)の2部制とする。 女子12名を聴講生として受け入れる。 12月 - により民人同盟会壊滅。 大隈重信の葬列• 1922年(大正11年)• 1月 - 創立者死去。 で行われた国民葬に教職員・学生参列。 3月 - 高等予科廃止。 4月 - 早稲田高等学院第一部・第二部を第一早稲田高等学院()・第二早稲田高等学院()に改組。 11月 - 第1回ラグビーを開催(三田綱町グラウンド、早0 - 慶14)。 1923年(大正12年)• 1月 - 文化同盟結成(建設者同盟の学内団体)。 3月 - 総長・学長制を名誉総長・総長制に改め、名誉総長に、総長にが就任(5月)。 旧大隈邸を大隈会館と命名。 4月 - 大学院発足。 5月 - 起こる。 6月 - 研究室蹂躙事件起こる(の発端)。 9月 - で旧講堂倒壊。 被災者のために法律相談部と建築相談部を設置。 12月 - 第1回ラグビーを開催(戸塚球場、早42 - 明3)。 1924年(大正13年)• 4月 - 早稲田専門学校(夜専、政治経済科・法律科・商科)開校。 5月 - および高等師範部がと同等以上と認定される。 建設中の大隈講堂• 1925年(大正14年)• 3月 - による大学部廃止。 8月 - 早稲田専門学校が高等学校大学予科と同等以上と認定される。 9月 - 発足。 西武鉄道から所在土地約25,000坪を入手(現在の東伏見キャンパス)。 10月 - 早慶野球戦復活(戸塚球場)。 図書館(現2号館)と学生会館、製図教室、第一高等学院プール(高石記念プール) 、正門竣工。 5月 - 早大学生消費組合開店(東京学生消費組合の最初の支部)。 10月 - 理工学部実験室・研究室(13号館)竣工。 1927年(昭和2年)• 1月 - 教授解職(大山事件)。 図書館に・の壁画「明暗」を設置。 10月 - が落成。 早大出版部事務所竣工。 専門部各科に科長を置く。 (早稲田大学からは4500名以上の学生が出陣した。 1928年(昭和3年)• 4月 - 開校。 8月 - 在校生(当時)のがで日本人初の金メダルを獲得。 10月 - が開館。 1929年(昭和4年)4月 - 雄弁会解散反対、学生自治権要求デモ発生。 1930年(昭和5年)10月 - 早慶野球戦切符事件起こる。 1931年(昭和6年)• 5月 - 文学部校舎竣工(旧8号館、2002年解体)。 6月 - 戸塚球場で日本初の実験放送成功。 早慶戦で第六応援歌「紺碧の空」(作詞:、作曲:)を初演奏。 東伏見運動場に文学部旧校舎を移築、体育各部の合宿所となる(グリーンハウスの名称で1988年まで使用)。 1932年(昭和7年)• 4月 - 学則改正により選択科目を大幅に増やす。 高等師範部の1年制予科を廃して3年制本科を4年制に改める。 5月 - 野球部、東京六大学野球連盟から脱退(9月復帰)。 10月 - 創立50周年式典を挙行。 (2代目、現在のもの)および高田早苗像建立。 1933年(昭和8年)• 1月 - 、初の全国制覇達成(、早稲田27 - 3同志社)。 3月 - 創立50周年記念事業を発表(老朽校舎改築および理工学部中央研究所設置を表明)。 4月 - 本部校舎竣工(旧3号館南側、2011年解体)。 11月 - 武道館開館。 1934年(昭和9年)4月 - 政・法校舎竣工(旧3号館北側、2011年解体)。 1935年(昭和10年)• 4月 - 理工学部各学科に工業経営分科を新設。 科外講演部設置。 6月 - ・高等師範部校舎竣工(現・1号館)。 大学正面入口から門柱・門扉を撤去(無門の門となる)。 1936年(昭和11年)• 7月 - 東伏見プール竣工。 9月 - 理工学部応用化学実験室竣工。 1937年(昭和12年)• 4月 - 来校、大隈講堂で「私の住む世界」と題する講演を行った。 9月 - 理工学部実験室竣工。 1938年(昭和13年)• 3月 - を買収。 4月 - 文学部哲学科に芸術学専攻設置。 理工学部に応用金属学科設置。 特設東亜専攻科を設置(2年間のみ)。 6月 - 教員の満70歳停年制を採用(1943年実施)。 10月 - 大隈重信生誕百年記念祭挙行。 商学部校舎竣工(旧11号館、2006年解体)。 鋳物研究所設置。 1939年(昭和14年)4月 - 女子学生4名が初めて学部へ入学。 工科開設。 1940年(昭和15年)• 1月 - 文学部教授津田左右吉辞職()。 夏 - 理工学部研究所(現:理工学総合研究センター)を設置。 秋 - 法学部に東亜法制研究所設置。 10月 - 学徒錬成部を設置。 11月 - 興亜経済研究所(現:アジア太平洋研究センター)を設置。 12月 - 報国碑を建立(1946年撤去)。 1941年(昭和16年)• 4月 - 小平錬成道場を久留米道場、東伏見体錬道場を東伏見道場、戸塚球場を戸塚道場、第一高等学院運動場を戸山道場と改称。 8月 - 早稲田大学報国隊を結成。 10月 - 早稲田工手学校がと同等以上の学校と認定される。 1942年(昭和17年)• 4月 - 理工学部電気通信学科開設。 高等師範部に国民体錬科開設。 10月 - 体育会の学徒錬成部への統合が完了。 1943年(昭和18年)• 4月 - 第一・第二高等学院のをともに2年に短縮する。 10月 - 理工学部に石油工学科、土木工学科、工業経営学科を開設。 を行う。 1944年(昭和19年)• 3月 - 興亜経済研究所と東亜法制研究所とを統合して興亜人文科学研究所を設立。 4月 - および専門学校の商科を経営科と改称(戦後旧称に戻す)。 工科に航空機科、電気通信科、鉱山地質科学科を開設。 焼失した恩賜記念館 (1945年)• 1945年(昭和20年)• 5月 - 下のにより大隈会館、恩賜記念館、第一高等学院(戸山)などを焼失。 8月 - 終戦により解除。 10月 - 学生ホール再開。 11月 - 体育会復活。 12月 - 学友会復活。 理工学部機械工学科の航空力学科と航空機科を廃止、石油工学科を燃料化学科と改称、専門部工科航空機科を運輸機械科と改称、早稲田高等工学校航空機科を廃止。 1946年(昭和21年)• 2月 - 興亜人文科学研究所を人文科学研究所と改称。 4月 - 第一・第二高等学院のをともに3年とする。 高等師範部国民体錬科を体育科と改称、社会教育科を新設。 5月 - 総長公選規定を含む校規を制定、が総長に就任(9月)。 理事会、の設立を承認。 10月 - 政治経済学部に新聞学科を増設。 1947年(昭和22年)4月 - 学生自治会発足。 1948年(昭和23年)• 4月 - 米国に亡命していた復職。 政治経済科に自治行政専攻を設置。 7月 - 新制早稲田大学の設置認可を文部大臣に申請。 11月 - 早稲田工手学校廃校。 1949年(昭和24年)• 3月 - 旧制第一・第二早稲田高等学院が廃校、在校生は新制大学の学部1・2年生に移行。 4月 - に伴い、 早稲田大学を設置。 新制開校。 旧制の学部・専門部・高等師範部・専門学校・高等工学校の学生・生徒募集を停止。 体育部を新設。 5月 - 『早稲田大学教旨』を改訂、「立憲帝国の忠良なる臣民」を削除。 7月 - -大学正門間に運行開始。 1950年(昭和25年)• 8月 - 北海道と東北地方で第1回社会教育講座を開催。 10月 - 早稲田大学事件起こる。 1951年(昭和26年)• 2月 - に伴うへの組織変更認可。 3月 - 旧制学部最後・新制学部最初の卒業式を挙行。 4月 - 旧制の高等師範部、専門学校を廃止。 新制の早稲田大学大学院6研究科(修士課程)を設置。 10月 - 旧制の、高等工学校を廃止。 1952年(昭和27年)• 4月 - 体育会と体育部を統合して体育局を設置。 5月 - 「5月8日早大事件」起こる。 10月 - 共通教室校舎(現10号館)竣工。 1953年(昭和28年)• 5月 - 大学院博士課程を設置。 7月 - 戦後最初の海外留学生を派遣。 11月 - 第1回統一早稲田祭開催。 1954年(昭和29年)• 5月 - 学生会館竣工。 10月 - 竣工。 アルゼンチン大統領の来校 (1961年• 1955年(昭和30年)• 2月 - 外国学生特別選考制度発足。 4月 - 大隈記念社会科学研究所開設。 11月 - 校友会館竣工(大隈庭園内)。 1956年(昭和31年)• 2月 - 生産研究所(現:アジア太平洋研究センター)を設置。 8月 - が練馬区上石神井に移転。 10月 - 放射性同位元素研究室竣工(理工学研究所)。 1957年(昭和32年)• 3月 - 名誉博士に関する規則を制定。 10月 - 記念会堂が竣工。 (の競技会場として使用される)• 1958年(昭和33年)• 3月 - 早稲田大学出版部、通信講義録事業を廃止。 4月 - 研究所を設置。 5月 - 大隈記念学術褒賞と小野梓記念賞を制定。 1959年(昭和34年)• 7月 - 語学教育研究室(現:語学教育研究所)を設置。 10月 - 電子計算室(現:メディアネットワークセンター)を設置。 (早稲田大学が一時期所有していた)• 1960年(昭和35年)• 3月 - 旧制早稲田大学(大学院・学部)廃止。 ・・生誕百年記念祭を開催。 1961年(昭和36年)• 3月 - 大学院工学研究科を理工学研究科と改称。 4月 - 第二理工学部の学生募集を停止。 第一理工学部の鉱山学科を資源工学科と改称。 9月 - 第二共通教室(22号館)竣工。 11月 - 生誕百年記念祭を開催。 1962年(昭和37年)• 4月 - 第一・第二文学部がの旧高等学院校地に移転。 5月 - 人類初のであるの来校。 7月 - 客員教授制度を設ける。 12月 - 本庄校地(栗崎)購入決定。 1963年(昭和38年)• 4月 - 国際部を設置。 7月 - 大隈記念社会科学研究所を社会科学研究所に改組。 12月 - が系属校となる。 1964年(昭和39年)• 4月 - 教育学部に理学科(数学専修・生物学専修・地学専修)を新設。 教育学科に体育学専修を増設。 12月 - 開業。 1965年(昭和40年)• 4月 - 第二法学部および第二商学部、学生募集を停止。 理工学部に物理学科を設置。 6月 - 『早稲田大学史記要』発刊。 10月 - 起こる。 大隈庭園• 1966年(昭和41年)• 4月 - 第二政治経済学部、学生募集を停止。 を設置。 第二政治経済学部、学生募集を停止。 社会科学部を設置。 第一文学部を2類18専攻制に、第二文学部を2類7専攻制に改める。 11月 - 15号館新築、4号館増築工事竣工。 1967年(昭和42年)• 2月 - 16号館(教育学部)竣工。 4月 - 大久保キャンパス(現:)が完成、第一・第二理工学部が移転。 を学生に開放。 1968年(昭和43年)4月 - 第二理工学部を廃止、第一理工学部を理工学部と改称。 学生相談センターを設置。 1969年(昭和44年)• 2月 - 大学問題研究会発足。 8月 - 追分セミナーハウス(現:軽井沢セミナーハウス)竣工。 9月 - 法商研究室棟(9号館)竣工。 1970年(昭和45年)• 9月 - 建物・校舎の号館表示を変更。 11月 - 第1回ホームカミングデーを開催。 古代エジプト調査委員会発足。 1972年(昭和47年)• 4月 - 理工学部電気通信学科を電子通信学科と改称。 6月 - 大隈重信侯没後50年祭記念講演会および展示会を開催。 1973年(昭和48年)• 4月 - 第一政治経済学部を政治経済学部に、第一法学部を法学部に、第一商学部を商学部に改称。 第一政治経済学部新聞学科・自治行政学科廃止。 理工学部に化学科を増設。 理工学研究科応用物理学専攻を物理学及応用物理学専攻に改称。 5月 - 総長拉致事件発生。 7月 - 校規改正(総長三選禁止)。 1974年(昭和49年)7月 - 産業経営研究所を設置。 1975年(昭和50年)4月 - 学債募集開始。 1976年(昭和51年)10月 - 早稲田大学国際交流基金を設定。 1978年(昭和53年)• 3月 - 『早稲田大学百年史』刊行開始(1997年完結)。 4月 - 現代政治経済研究所を設置。 1979年(昭和54年)• 4月 - が系属校となる。 12月 - 環境保全センターを設置。 1980年(昭和55年)• 2月 - 商学部でが発覚。 教職員から逮捕者・自殺者を出した。 11月 - 第二学生会館改修工事完了。 1981年(昭和56年)• 4月 - エクステンションセンターを設置。 5月 - 評議員会、新キャンパス用地を所沢市三ヶ島地区と決定(現在の)。 10月 - 体育厚生施設(17号館)竣工(旧武道館跡地)。 1982年(昭和57年)• 4月 - 開校。 10月 - 創立100周年記念式典を挙行。 スポーツ功労者表彰規程を制定。 1984年(昭和59年)• 4月 - 第一文学部に学科制が復活、史学科に考古学専修設置。 12月 - 芸術功労者表彰規程を制定。 1985年(昭和60年)11月 - エクステンションセンター棟竣工。 1986年(昭和61年)• 4月 - 早稲田大学教育総合研究室を開設。 10月 - 松代セミナーハウス竣工。 早稲田大学図書館• 1987年(昭和62年)• 4月 - 開設。 ・人間総合研究センターを設置。 理工学部金属工学科を材料工学科と改称。 11月 - (旧戸塚球場)閉鎖。 1988年(昭和63年)• 4月 - 日本語教育研究センターを設置。 オープンカレッジを開設。 10月 - 鋳物研究所を各務記念材料技術研究所と改称。 1989年(元年)11月 - 染谷記念国際会館竣工。 1990年(平成2年)• 3月 - 大隈ガーデンハウス竣工。 大学院教育学研究科を設置。 4月 - 所沢スポーツホール竣工。 1991年(平成3年)4月 - 理工学部に情報学科設置。 が開館。 大学院人間科学研究科を設置。 1992年(平成4年)• 4月 - 戸山キャンパス図書棟・食堂棟・プール竣工。 11月 - 戸山キャンパス文学部第2研究棟竣工。 1993年(平成5年)• 3月 - 理工学総合研究センター棟と研究棟竣工(大久保キャンパス)。 7月 - 来校。 現役の大統領による初の日本の大学への来校となった。 11月 - 菅平セミナーハウス竣工。 1994年(平成6年)• 2月 - 大隈会館およびホテル棟竣工(翌月に本部各事務所が1号館から大隈会館に移転)。 4月 - 大学院社会科学研究科を設置。 教育学部教育学科体育学専修廃止。 2号館(旧図書館)内に高田早苗記念研究図書館開館。 12月 - 西早稲田キャンパス整備計画(A,B,C棟の建て替え)に着手、A棟(14号館)の建て替え工事が始まる。 1996年(平成8年)6月 - メディアネットワークセンターを設置。 (2014年4月、グローバルエデュケーションセンター GEC に移管)• 1997年(平成9年)• 4月 - 理工学部電子通信学科を電子・情報通信学科と改称。 7月 - アジア太平洋研究センターを設置。 12月 - ハイテク・リサーチセンターが竣工。 と国内相互間留学制度・学術交流制度を提携。 1998年(平成10年)• 4月 - 理工学部資源工学科を環境資源工学科、材料工学科を物質開発工学科、数学科を数理科学科と改称。 を設置。 5月 - 2号館にが開設。 6月 - 国際情報通信研究センターを設置。 9月 - 教育総合研究室を教育総合研究所に改組。 12月 - 総合健康教育センターを設置。 2000年(平成12年)4月 - 大学院国際情報通信研究科、オープン教育センター、入学センターを設置。 総合研究機構を創設し、教授陣によるプロジェクト研究所を開設・運営する体制を整える。 2001年(平成13年)• 4月 - 、、、との5大学間学生交流 ならびに、との学術交流を開始。 8月 - 新学生会館(30号館)竣工。 大学院日本語教育研究科、理工学総合研究センター九州研究所、研究開発センターを設置。 専門学校をに改組。 2002年(平成14年)4月 - 渋谷幕張シンガポール校がとなる。 2003年(平成15年)4月 - ならびに人間科学部通信教育課程、大学院アジア太平洋研究科国際技術経営専攻()、大学院公共経営研究科(専門職大学院)、大学院情報生産システム研究科()を設置。 体育局を競技スポーツセンターに改組。 が開校。 2004年(平成16年)• 4月 - 、国際政治経済学科、大学院法務研究科()を設置。 に大学院ファイナンス研究科()が開校。 新3号館(2014年竣工)• 2005年(平成17年)• 2月 - 西早稲田キャンパス整備計画に基づいて、B棟(8号館)が竣工。 4月 - 大学院会計研究科()を設置。 小野梓記念館(27号館)完成。 12月 - 九州大学と連携に関する基本協定締結(国内初の国立大学法人と私立大学の包括的な連携協定)。 2006年(平成18年)• 4月 - 大学院スポーツ科学研究科を設置。 大隈記念タワー(26号館)完成。 4月 - 京都大学と連携協力に関する基本協定を締結。 9月 - 早稲田大学高等研究所を設置。 2007年(平成19年)• 4月 - とを改編し、新たに(1学科6論系)と(1学科17コース)を設置。 理工学部、大学院理工学研究科を分割し、基幹理工学部(基幹理工学研究科)、創造理工学部(創造理工学研究科)、先進理工学部(先進理工学研究科)の3学部3研究科からなる体制が発足。 2008年(平成20年)• 4月 - と医理工融合研究教育拠点である早稲田大学先端生命医科学センター(TWIns)を創設。 5月 - との間で学術交流協定を締結。 ()が来校し、特別講演。 6月 - 開業。 10月21日 - 早稲田大学が、学びのためのSNS「QuonNet」を開始• 2009年(平成21年)• 2月 - 西早稲田キャンパス整備計画に基づいて、C棟(新11号館)が竣工、15年に渡る西早稲田キャンパス整備事業が完成。 4月 - 西早稲田キャンパスを早稲田キャンパスへ改称、大久保キャンパスは西早稲田キャンパスへ改称。 ・との間で国・公・私の工学系3大学院連携によるカーエレクトロニクスコース(現カーロボAI連携大学院)を設置。 9月26日 - 早稲田大学で日本フェノロサ学会開催。 の東京帝国大学時代の『哲学講義ノート』(早稲田大学坪内博士記念演劇博物館所蔵)などが展示される。 2010年(平成22年)• 4月 - 大学院・先進理工学研究科に、日本初となる他大学との共同専攻(共同先端生命医科学専攻()、共同先進健康科学専攻()、共同原子力専攻() を設置。 、、の3大学との間で連携協定を締結。 7月 - のに、医療研究・開発のための研究施設「神戸BT()センター早稲田大学浅野研究室」を開設。 2011年(平成23年)• 2月 - 先端科学・健康医療融合研究機構が、の医学部と大学院医学研究科との間で、先端医療の研究活動で協力する連携協定を締結。 3月11日に発生したの影響により、2010年度および2011年度が中止となり、講義開始を5月6日に開始することとなった。 10月 - に招かれ、がのでの朗読を行った。 2012年(平成24年)• 12月19日 - オックスフォード大学エクスターカレッジ学長来校。 2013年(平成25年)• 4月 - 6学部でクォーター制を導入。 早稲田大学大学院入学式にオックスフォード大学フォルフソンカレッジ学長来校(4月2日)。 2014年(平成26年)• 3月28日 - が文部科学省により指定校に選定される。 4月 - 跡地に、開館。 2015年(平成27年)• 3月 - 川口芸術学校閉校。 4月 - 「早稲田小劇場どらま館」竣工、公演上演。 12月 - で(早稲田大学の)の講座が開校(参照)。 2016年(平成28年)4月 - 大学院経営管理研究科設置。 2018年(平成30年)• 3月 - 早稲田大学歴史館開館(1号館1階)。 12月 - 記念会堂跡地に新37号館(早稲田アリーナ)が竣工。 屋上部に戸山の丘が設置される。 3月 - 早稲田スポーツミュージアムが開館(戸山キャンパス)。 6月 - (ライブラリー)設立(2021年4月開館予定)。 9月 - 慶應義塾大学メディアセンターと図書館システム共同運用開始。 2020年(令和2年)• 3月30日 - 東京大学と連携・協力の推進に関する基本協定書締結。 4月17日 - 理工系3学部と大学間協定締結。 に端を発するの流行が拡大したことを受け、2019年度卒業式及び2020年度入学式が中止となり 、講義開始が4月20日以降に繰り下げられた。 4月25日 - で経済的に影響を受けた学生に対し、「緊急支援金」として1人当たり10万円の支給を発表。 基礎データ - - 所沢キャンパス キャンパス• (東京都新宿区1-6-1、 ) 、、、、、など 、、、、 など 学生間では、「本キャン」とも呼ばれることがある。 最寄駅:()、()。 、が発着するの利用も多い。 までの旧名称:西早稲田キャンパス、本部キャンパス• (東京都新宿区1-24-1、 ) 、など 早稲田アリーナ、競技スポーツセンター、研究棟、学生会館など 学生間では、が入っていることから「文(ぶん)キャン」とも呼ばれることがある。 戦前はが使用していた。 最寄駅:早稲田駅、西早稲田駅• (東京都新宿区大久保3-4-1、 ) 基幹理工学部、創造理工学部、先進理工学部、など 学生間では、が入っていることから、「理工(りこ、「りこう」ではなく「う」を発音しない)キャン」とも呼ばれることがある。 最寄駅:(東京メトロ・キャンパス直下に位置し、キャンパス内出口も存在する) 3月31日までの旧名称:大久保キャンパス• 喜久井町キャンパス(東京都新宿区17、 ) 理工学総合研究センター、多目的グラウンドなど 太平洋戦争中この地にはがあり、の際に防空壕内でによる火災が発生し、約300人が死亡したことから、(昭和23年)より、毎年に喜久井町町内会とともに「喜久井町観音慰霊祭」が行われている。 戦没者供養観音像は新宿区地域文化財(平和分野)に認定されている。 最寄駅:早稲田駅(東京メトロ東西線)• (2-579-15、 ) 、など 最寄駅:(駅からバス利用)• 上石神井キャンパス(東京都3-31-1、 ) が置かれている。 大学生はほとんど利用しない。 最寄駅:(西武新宿線)• 本庄キャンパス(埼玉県西富田1011、 ) セミナーハウス、大学院国際情報通信研究科、環境エネルギー研究科など。 国際リサーチパーク研究推進機構など、産学連携、ベンチャー企業支援拠点が置かれる。 最寄駅:(・の単独駅)、()• 北九州キャンパス(福岡県北九州市2-7、 ) 大学院情報生産システム研究科など 最寄駅:(・)• 東伏見キャンパス(東京都2-7-5、 ) 各体育会のスポーツ施設、学生寮など 最寄駅:(西武新宿線) 東伏見3丁目5番地の学生寮、三神記念コート、安部寮等の敷地は、西東京市が単独で所有する文化財として初のとなった の一部である。 シャトルバス• 日本橋キャンパス(東京都中央区1-4-1、 ) COREDO日本橋()5階に設置された。 日本で最初に金融を専門とした研究機関である専門職大学院ファイナンス研究科 最寄駅:(・東京メトロ・東京メトロ東西線・駅直結) このように、キャンパスが複数存在することから、キャンパス間のが設定されている。 早稲田キャンパス-戸山キャンパス正門-学生会館前-西早稲田キャンパス、早稲田キャンパス-先端生命医科学センター(との共同設置、同大学キャンパスに所在)-西早稲田キャンパス、早稲田キャンパス-西早稲田キャンパス-本庄キャンパス、所沢キャンパス-小手指駅の路線があり、学生及び教職員は無料で利用することできる。 象徴 詳細は「」を参照 1927年にの設計で竣工した、文字どおり早稲田大学の顔として知られる建造物である。 に所在し、正式名称は「早稲田大学大隈記念講堂」。 学内では「早稲田大学21号館」とも表記される。 にも指定されている建築物である。 真っ只中にあったイギリス建築の影響を受けたとの折衷主義建築である。 恩賜記念館という大隈講堂と並ぶ、もう一つの象徴的な建物が存在したが、空襲により焼失した。 角帽 大隈重信の宿願は、世界唯一の帽子を作ることで、どこに行ってもすぐに早稲田の学生と分かるようにすることだった。 洋服店「」主人・弥七郎に頼んだ。 金モールの徽章とともに商品登録を受けた角帽の裏には姓名・学科名の他、校印を捺して、「早稲田の学生に相違無之候也」との文字が添えられ、身分証明ともなり、実質的なステータス・シンボルの役目を果たした。 「無門の門」 早稲田大学からは(昭和10年)に門柱や門扉が撤去され 、「無門の門」となった。 大学によれば、学びたい人を拒まない、開かれた大学にするという建学の精神を象徴している。 2015年には全面バリアフリー化された。 ただし「稲門」という早稲田大学の別称は当時も今もそのままである。 校歌 早稲田大学校歌 ウィキソースに の原文があります。 作詞は、作曲はで、創立25周年()に制定された。 三番から構成され、特に一番の歌詞の冒頭の「都の西北 早稲田の杜に」のフレーズは有名であることから、別名『都の西北』と称される。 早稲田大学自身も「都の西北」と称されることが多い。 また各番の最後にある「わせだ わせだ……」のフレーズも特に有名で、これは小説家でもあり、同大学で教鞭を執ったの発案によるものである。 の学生歌『Old Yale』のメロディーを参考に作られたという。 『Old Yale』自体も1837年にで流行していた曲『The Brave Old Oak』がその原曲とされており、さらに18世紀の曲『Hearts of Oak』がルーツではないかとも指摘されている。 のカレッジソングもイェール大学の校歌と同じメロディーであり、イェール大学との関係が強固である。 初代もイェール大学の博士号を授与されており、また、初代総裁のもイェール大学出身であり、明治時代における日本はイェール大学との結びつきが強かったと考えられている。 明治40年(1907年)10月21日、創立25周年式典においての吹奏により初めて披露された。 作詞者の相馬御風は早稲田大学卒業の詩人で、やらとともに早稲田詩社を結成し「」を提唱した。 作曲者の東儀鉄笛は早稲田大学の前身・出身(中退)であり、の第一校歌も作曲している。 早稲田大学を象徴する存在であり、長らく日本三大校歌の一つとも言われてきた [ ]。 この大学校歌は附属校のおよびの校歌でもある。 系属校のでは「学園歌」名義で使用されている。 の校歌の歌い出しも「都のいぬゐ早稲田なる」で始まるように、「都の西北」の「西北」は(戍亥)を表し、・・などを象徴している(『』『』など参照)。 「都の西北」が制定される以前は、明治35年に早稲田大学開校式祝典に際して制定された記念歌『煌々五千の炬火』(作詞:坪内逍遥、曲はの『』を転用)が校歌として扱われていた。 3番の歌詞の冒頭は後年「あれ見よ あしこの」 から「あれ見よ かしこの」と改変されたが、 あと あの(alliteration)を破る行為であって決して許されぬという批判もある。 早稲田大学応援歌 古関裕而• (昭和6年)に制定された早稲田大学の。 創作当時は第六応援歌だったが、現在は第一応援歌となっている。 作詞は住治男、作曲は。 当時、で連勝していたの応援歌『』に対抗するための応援歌として作成された。 の歌詞募集により集まった約三十編の応募作から、教授により3年住治男の『紺碧の空』が選出された。 作曲は応援部リーダー幹部の(古関と親交の深かった歌手の従兄弟 )の推薦により、彼の幼なじみであり専属の古関に一任された。 出だしの曲調がの交響曲『』に似ていると愛好家の間で評判である。 コロナを乗り越える早稲田の新しい応援ソングとして『紺碧の空』をモチーフとした『』が誕生した。 コンバットマーチ• (昭和40年)秋の早慶戦で出現した応援歌。 当時応援部4年で後に長を務めた三木佑二郎による作曲。 一般学生を応援に巻き込む形を取るために考案された、日本における最初のであり、『』はチャンステーマの代名詞的存在となっており、多くの学校のチャンステーマに転用されている。 大進撃 コンバットマーチ、タイムリーマーチ以外に攻撃中に使用できる曲として考案された曲。 小島健昭作曲。 慶應の『突撃のテーマ』に対抗する曲として野球応援で欠かせない曲となっている。 マスコット・キャラクター 大学の公式マスコット・キャラクターとして創立125周年を記念して、本学出身の漫画家による「ワセダベア」が制定されている。 創立者大隈重信の「隈」を「熊」に捩ったのキャラクターであり、各種グッズも販売されている。 2032年の創立150周年に向けた学生コンペの際に、女子大学生グループによりワセダベアの女性版「早稲女ベア」を策定するアイデアが出された。 コンペでの優勝は逃したものの、大学側の目に止まり、弘兼に女性版の策定を依頼、2014年3月に完成し、広報誌『早稲田ウィークリー』7月21日号に名称を公募したところ、約300件の応募があったが、性差別を助長すると主張するの教員らの反発があり、「お蔵入り」となっている。 この他、戸山キャンパスには、文学科創設120周年を記念して作られた「ブンコアラ」やと知恵のを組み合わせた「ショウホー」といったキャラクターが存在する。 また、の応援歌『吼えろ早稲田の獅子』に因んだのキャラクター「わーおくん」も存在する。 かつて漫画アニメの主人公「」(作)はのなどでの使用が典型であるが、早稲田大学の応援マスコットとしてさかんに使用されていた。 これは、フクちゃんが角帽をかぶっていたことによるが、頃に使用を横山が承諾したことで実現したとされる。 しかしながら今日の著作権遵法精神の下、過去のものとなっている。 ちなみに慶応のマスコットはミッキーマウスだったが、同様の理由で過去のものとなっている。 教育、研究および国際化 外国人留学生の受け入れ体制 早稲田大学中野国際コミュニティプラザ(東京都中野区) 全学部で海外からのを受け入れている。 2015年5月1日時点、90以上の国と地域から、4921人が学ぶ。 留学生受け入れ数は2014年5月1日時点、国内で1位である。 現在、留学生8000人の受け入れ目標を掲げる。 これまでの積極的な留学生受け入れ体制が評価され、文科省の「(グローバル30)」の対象に、()、(3学部3研究科)、社会科学総合学術院()が、選定された。 国籍別に見ると、をはじめとする地域からの留学生が多い。 「アジアにおける教育・学問研究の結節機関」を目指し、学問研究においては「現代アジア学の創生 」を、教育面では「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点( )」を掲げ、意欲的な取り組みが進む。 (平成8年)、が、早稲田大学初の中国人専任教授となるを招くなど、語学教員以外での外国籍研究者の招聘を積極的に行い、教授陣のグローバル化も進めた。 (平成16年)には、ほぼ全ての教員が英語で授業を行う「国際教養学部」を設置、初、英語による授業だけで学位取得が可能な学部となった。 (平成22年)からは、理工学術院の3学部・3研究科に、英語による授業だけで学位取得が可能な「国際コース」が設置される(「国際化拠点整備事業(グローバル30)」の一環で、政治経済学術院、社会科学総合学術院にも設置)。 に東京都の跡地に「」が開設され、留学生と日本人学生が共同生活を行い交流できる施設のひとつとなった。 組織 学術院 (平成16年)から、全ての学部・研究科は、10の学術院という独自の組織に統合され、学部・研究科の全教員も、いずれかの学術院の所属となった。 学内の意思決定など、大学行政も学術院教授会単位で行われる。 よって、本項では学部および研究科を学術院単位で掲載している。 『早稲田大学入学案内2017』には、以下の順序で、が紹介されている。 研究科:、、、、、基幹理工研究科、創造理工研究科、先進理工研究科、、、社会科学研究科、スポーツ科学研究科、国際コミュニケーション研究科、アジア太平洋研究科、日本語教育研究科、情報生産システム研究科、法務研究科、会計研究科、環境・エネルギー研究科、経営管理研究科。 「」を参照• 国際関係学専攻• 日本語教育研究科• 日本語教育学専攻 学術院所属附属機関• 政治経済学術院• 現代政治経済研究所• 法学学術院• 比較法研究所• 法務教育研究センター• 教育・総合科学学術院• 教育総合研究所• 商学学術院• 商学学術院総合研究所• 産業経営研究所• WBS(早稲田ビジネス・ファイナンス)研究センター• ファイナンス研究センター• 理工学術院• 理工学術院総合研究所• 各務記念材料技術研究所• 理工学研究所• 国際情報通信研究センター• 環境総合研究センター• 情報生産システム研究センター• 社会科学総合学術院• 先端社会科学研究所• 人間科学学術院• 人間総合研究センター• スポーツ科学学術院• スポーツ科学研究センター• 国際学術院• アジア太平洋研究センター• 日本語教育研究センター 別科• 日本語専修課程 博物館・資料館 小野梓記念館• 早稲田大学博士記念館• 大学史資料センター• 記念館(小野記念講堂・ワセダギャラリー)• 早稲田大学歴史館• 早稲田スポーツミュージアム• (ライブラリー)- 2021年4月オープン予定 セミナーハウス 生活を共にしながら集中・課外授業を行い、学生・教員間の信頼関係を醸成し、人間関係形成に寄与することを目的として、セミナーハウスを設置している。 軽井沢セミナーハウス• 大字追分字1448-4• 最寄り• 松代セミナーハウス• 蒲生字トロノキ676-2• 最寄り• 菅平セミナーハウス• 長野県1223-58• ・しなの鉄道しなの鉄道線・ 最寄り• 伊豆川奈セミナーハウス• 川奈字扇山• 鴨川セミナーハウス• 太海1619-1• JR・ 最寄り 附属機関 大隈記念タワー• -2012年は私立大学トップの約536万冊、2017年は私立大学中に次ぐ2位の約558万冊を所蔵。 中央図書館 - 蔵書約240万冊、学術雑誌1万6千種を所蔵。 国際会議場も併設。 記念研究図書館• 戸山図書館• 理工学図書館• 所沢図書館• 早稲田大学高等研究所• 独立センター• メディアネットワークセンター• オープン教育センター• 遠隔教育センター• エクステンションセンター• 環境保全センター• 大学史資料センター• 保健センター• 記念ボランティアセンター• 競技スポーツセンター• 留学センター• 研究戦略センター(旧早稲田実業跡地)• 研究機構等• 総合研究機構(プロジェクト研究所)• アジア研究機構• 日米研究機構• 地域研究機構• 日欧研究機構• 重点領域研究機構• 理工学研究機構(ナノ理工学インスティテュート)• 先端科学・健康医療融合研究機構• IT研究機構• 神戸バイオテクノロジー研究・人材育成センター(BTセンター)早稲田大学浅野研究室 - (平成22年)にの内に、医療に関する研究・開発機関として開設。 エクステンションセンター• 早稲田校(早稲田キャンパス29-2号館)• 中野校(中野国際コミュニティプラザ1F)• 八丁堀校(東京都中央区八丁堀3-17-9)- の廃校となった旧京華小学校を活用した施設でに設置された。 様々なジャンルの講座を一般に提供している。 最寄駅: 関連機関 詳細は「」を参照 早稲田大学出版部 株式会社早稲田大学出版部(わせだだいがくしゅっぱんぶ)は、の出版部門で、早稲田大学教員の著書をはじめ、幅広い出版活動を行っている。 (明治19年)に『講義録』を発行しを開始したことがその起源である。 当時の印刷部門は独立し、その後秀英舎と合併、となった。 (昭和10年)東京専門学校卒でを創立・社長となったが初代社長となった。 なお、(昭和61年)に『早稲田大学出版部100年小史』 が刊行されている。 の設立時から(平成20年)まで会員であったが、現在は所属していない。 2009年(平成21年)に刊行を開始した「早稲田大学学術叢書」シリーズを含む年間50点余りの書籍を出版している。 また、2011年(平成23年)11月には『早稲田大学ブックレット <震災後>に考える』シリーズの刊行を開始した。 その他• 早稲田大学生活協同組合• 株式会社早稲田大学事業部 [ ]• 株式会社キャンパス 研究 21世紀COEプログラム 各分野から2002年度に5件、2003年度に4件が採択された。 2002年度 化学、材料科学• 実践的ナノ化学教育研究拠点 情報、電気、電子• プロダクティブICTアカデミアプログラム 人文科学• 演劇の総合的研究と演劇学の確立• アジア地域文化エンハンシング研究センター 学際、複合、新領域• 現代アジア学の創生• 2003年度 数学、物理学、地球科学• 多元要素からなる自己組織系の物理 機械、土木、建築、その他工学• 超高齢社会における人とロボット技術の共生 社会科学• 開かれた政治経済制度の構築• 企業社会の変容と法システムの創造 グローバルCOEプログラム 各分野から2007年度に4件、2008年度に3件、2009年度に1件が採択されている。 2007年度 化学、材料科学• 「実践的化学知」教育研究拠点 情報、電気、電子• アンビエントSoC教育研究の国際拠点 人文科学• 演劇・映像の国際的教育研究拠点 学際、複合、新領域• アジア地域統合のための世界的人材育成拠点• 2008年度 機械、土木、建築、その他工学• グローバルロボットアカデミア 社会科学• 制度構築の政治経済学• 成熟市民社会型企業法制の創造• 2009年度 学際、複合、新領域• アクティヴ・ライフを創出するスポーツ科学 私立大学学術研究高度化推進事業 2007年度、理工学術院にて新規に2件の事業が採択された。 先進理工学研究科 生命理工学専攻• システム生命科学による医・理・工学の先端研究、病態解明・診断・治療に向けた医・理・工学の融合研究• 基幹理工学研究科• 数値シミュレーションに関する数理的研究、高信頼超並列ソフトウェア基盤研究、環境志向型材料創製研究、高機能材料デバイスとシステム開発研究 学生生活 サークル活動 早稲田大学では、時点、大学公認のは約560ある。 また、最低限の届出を済ませているが公認サークルの設立要件を満たしていない未公認サークルや、「早稲田大学のサークル」を自称し活動するサークル(早稲田大学では「無届団体」と名付けている)が多数存在する。 大学の公認を得た団体は、学生会館に部室が与えられる、活動補助金を受け取れる、新歓期に出店を設けるスペースが優先的に割り振られる、サークル名義で大学の各種施設を使用できる、といった待遇を受けられる。 会長となる教職員を確保した上で構成員が21人以上、詳細な会計報告を行うといった条件を毎年満たす必要がある。 なお、これら全てを含めた学生による課外活動への参加率は7割以上と高い。 また、数多くあるサークルから目的のサークルを探す手段として、『マイルストーンエクスプレス』といった学生が発行する情報誌が存在する。 主なサークル・学生自治組織 文化団体連合会 が実権を握る学生団体連合体。 当局の公認団体ではあるが、現在では加盟サークルはほとんどない。 早稲田精神昂揚会 半世紀以上続く早稲田の伝統イベント「本庄〜早稲田100キロハイク」を主催するサークル。 埼玉県本庄市から早稲田大学までの約100kmを二日間かけて歩き切るというイベント。 学生や卒業生を中心に約1500人の参加がある。 毎年5月に行われ、春の早慶野球戦、早稲田祭と並んで「早稲田大学三大行事」に数えられている。 大学関係者からは「100ハイ」などと呼ばれる。 早稲田大学政友会 50余年の歴史と100人を超える会員を持つ早稲田大学最大のアカデミックサークルである。 政治、経済、ジャーナリズム、国際関係に関する勉強会と年に二度の講演会を中心に活動を行っている。 早稲田大学鵬志会 政友会、雄弁会と並ぶ早稲田三大政治サークルの一つ。 政治家のインターンシップを中心に活動を行っている。 早稲田大学のである。 内閣総理大臣をはじめ多くの政治家が卒業生に存在する。 (明治17年)に前身の同政会が発足し、(明治35年)に早稲田大学雄弁会となった。 早稲田祭運営スタッフ 学園祭である早稲田祭を主催する。 正式名称は西暦を含めた「早稲田祭2xxx運営スタッフ」となる。 通称「運スタ」。 早稲田大学広告研究会 創立。 通称「広研」。 早稲田祭運営スタッフ、早稲田大学放送研究会とともに早稲田3大サークルの一角を占める。 早稲田大学放送研究会 通称「放研」。 日本の各大学の放送関係のサークルで最古参。 同大学の理工学部で戦後期に行われていた「早稲田式」のテレビ開発研究のチームを母体とする。 当初は大学入試より難しいといわれた入会試験があった。 その後、アナウンサー養成、アマチュア番組制作など活動の幅を広げ、多くのOBが全国各地の放送局やメディアに就職している。 早稲田大学アナウンス研究会 WAK は、同会から分離したサークルであり、多くのアナウンサーを輩出している。 早稲田大学宇宙航空研究会 早稲田大学公認サークルであり、からの公認も受けているインターカレッジサークル。 出場を目的としてを制作する「鳥人間プロジェクト」、等のロボット大会出場を目的として各種ロボットを製作する「メカトロプロジェクト」、液体の開発やそれらを利用したを制作する「ロケットプロジェクト」、・天体撮影やの学習等を行う「天文プロジェクト」の4プロジェクトが存在する。 略称の「WASA Waseda university Aeronautics & Space Association 」での呼称が一般的。 に創立した男声合唱サークル。 通称「ワセグリ」。 等の有名人を多く輩出している。 に創立したオーケストラサークル。 通称「ワセオケ」。 入学式や卒業式を始めとする早稲田大学の公式行事でも演奏をしている。 早稲田大学英語部 WESA 1948年に早稲田大学教育学部英語会として創立した、教育学部英語英文学科公認サークル。 英語名はWaseda English Speaking Assosiation WESA。 ディベート、ディスカッション、スピーチ、レッスンの4つの英語を使った活動を含む全体活動制(全活制)を採用。 1つの活動に偏ることなく総合的な英語力の養成を目指す方針で、学内随一の英語サークルとなった。 顧問は中尾清秋教授が長く務めた後、松坂ヒロシ教授に引き継がれた。 WESAが主催する早稲田杯争奪全日本学生英語弁論大会 All Japan Intercollegeate English Oratorical Contest for the WASEDA Trophy は、50回(2017年現在)の伝統を持つ日本有数の英語弁論大会である。 スピーチの水準の高さもさることながら、運営面でも他大学の模範とされる大会として知られる。 早稲田大学モダンジャズ研究会 創立。 ジャズをはじめ、音楽界に数多くのプロを輩出し続けているサークル。 通称「ダンモ」。 もこのサークル出身である。 早大マイルストーン編集会 早大生向け総合情報誌『マイルストーンエクスプレス』(Milestone Express)など5種類の雑誌を出版するサークル。 1978年にミニコミ誌を発行するサークルとして発足し、年間計8万部以上を発行する日本最大規模の出版サークルとなっている。 早稲田スポーツ新聞会 の先駆け的存在である『』を発行するサークル。 2014年7月に紙齢500号、創刊55周年を迎えた。 マスコミには同会出身者も少なくない。 早稲田大学名所古蹟研究会 50余年の歴史を持つ旅と歴史のサークル。 国内旅行専門のサークルである。 現在はいくつかの団体に派生。 SUPER FREE(スーパーフリー) にを起こしたイベントサークル。 (平成12年)に同好会として早稲田大学公認となっていたが、(平成14年)に大学当局の公認を取り消された。 現在は消滅している。 革マル派団体であったが、に公認を取り消された。 学園祭 早稲田大学のは「早稲田祭」と呼ばれ、通例上旬に2日間にわたり実施される。 過去にに乗っ取られた早稲田祭実行委員会などが会計面等で問題を起こしたことにより中断されていたが、(平成14年)より早稲田祭運営スタッフが発足し再開された。 これは、かつての早稲田祭実行委員会とは完全に独立した、形式的には単年度ごとに組織される"「早稲田祭2xxx」運営スタッフ"が、早稲田祭復活を求める学生によりに組織されたことを受けてものである。 大学当局は学生の主催であり大学の公式行事ではないという立場を(形式的には)とり、大学からの出資などは一切行っていない(授業の休講や、学部・研究科日程に掲載する等の措置はとられる)。 したがって、3000万円を超える早稲田祭予算は、早稲田祭運営スタッフの渉外活動や参加団体の参加費などで賄われている。 同スタッフの発表によると、2日間で約18万人 が来場し参加団体数は約400団体、企画数は約450企画となる。 これは大学の学園祭としては日本で最大の規模(来場者数で18万人以上を発表しているのは4日間開催される慶應義塾大学のと3日間開催であり地域の祭と同時開催である一橋祭のみ)であり、1日あたりの来場者では最多となる。 理工学部の存在する西早稲田キャンパスで行われる「理工展」も「早稲田祭」とは別に同日程で行われる。 また、所沢キャンパスで行われる「所沢キャンパス祭」は例年、10月下旬の日曜日に実施される。 スポーツ•


4月 - 現代政治経済研究所を設置。

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(の競技会場として使用される)• 1月 - 早稲田法学会発足。

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2月 - 先端科学・健康医療融合研究機構が、の医学部と大学院医学研究科との間で、先端医療の研究活動で協力する連携協定を締結。

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以後、1902年9月2日付で、専門学校から大学への昇格を機に、大隈によって代表される早稲田の地名をとり「早稲田大学」と改称した(常用漢字の改正以前は、「稲」は、「旧」ではなく「臼」の「稻」を使い、「早稻田大學」と表記していた。

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中2の練習試合であるシード権大会も日程は未定です。

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5月 - 起こる。

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10月 - 政治経済学部に新聞学科を増設。

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