日本 人 なら 米 を 食え - 日本人なら米を食え!!!!

日本 人 なら 米 を 食え - 日本人なら米を食え なくなる

日本 人 なら 米 を 食え - 日本人なら米を食え!!!!

歴史を学んで分かったその理由 どうして日本人はお米が好きなのか? 私たち日本人の主食は米。 米離れがいわれる昨今ですが、やはり米のご飯なしでは日本の食卓は成り立ちません。 日本人はなぜこれほどまで米を愛し、大切にしてきたのでしょうか。 日本の食文化に詳しい国士舘大学・原田信男教授に聞きました。 イラスト:松林今日子 日本の米文化は特殊 もちもちした食感やかむほどに生まれる味わいの深さ、銀シャリと呼ばれるほどつややかな姿……。 私たちの毎日に米のご飯はなくてはならないもの。 アジア各地でも広く食べられている米ですが、これほどまで主食として確固たる地位を占めているのは日本だけです。 それはいったいなぜだったのでしょう。 「それは、ユーラシア大陸の西北部と東南部を比較するとよく分かります」 ユーラシア大陸西北部は寒冷で乾燥した気候です。 つまり麦の栽培に向く地域。 古代に中東で発祥した小麦栽培はヨーロッパ方面へと広まっていきました。 麦は粉にひいて使います。 またこの地域は牧畜も盛んでした。 こうして〈麦・肉・乳製品〉の食文化が成立します。 朝食にはパンとバターやチーズ、卵、ベーコン。 菓子には小麦粉とバター、生クリーム。 ビールやウイスキーも麦が原料です。 「ベースとなる食料に何を選んだかによって、今に続く広い文化体系が出来上がっていくわけです」 米と魚の食文化が伝来 一方、東南部のモンスーン地帯は温暖で水も豊か。 米の栽培に適した地域です。 水があれば魚もいます。 また、残飯などを食べてくれる豚も手がかからないことから広く飼育されました。 〈米・魚・豚〉の食文化は東南アジアや中国南部、朝鮮半島に広まり、やがて弥生時代に日本に到達します。 魚からは調味料となる魚醤(ぎょしょう)も作られました。 それが伝播(でんぱ)の過程で大豆に置き換わり、日本ではしょうゆとみそが中心に。 材料の麹には米を使います。 また魚と米を発酵させた「なれずし」は、現在のにぎりずしに発展していきました。 和菓子の多くは米から作られ、日本酒や酢も原料は米です。 稲作が伝わってから、人々は食料の備蓄ができるようになりました。 集落の備蓄は富の表れ。 土地や水、食料をめぐる争いや配分を通して支配階級が誕生し、やがて古代国家が形づくられます。 大和朝廷が律令制を敷いたとき、手本になった中国では田と畑に課税したのに対し、日本では田だけ。 米作りはそれだけ重要視されたのです。 豚はどうなったのでしょう。 「弥生時代の遺跡では豚の骨も発掘されています。 ところが、途中から日本人は豚肉を食べなくなります」 水田で栽培される稲は非常に繊細な植物です。 多くの労力を要し、収量は天候などに大きく左右されます。 米は「聖なる」食べ物として神話や信仰と結び付き、厳粛な稲作儀礼が行われると同時に、さまざまな禁忌も生まれました。 「肉を食べると稲作が失敗するという、肉食のタブーもそのころから出てきたものと思われます。 必須アミノ酸の不足を補うため、魚の重要性はますます増していきました」 米は特別な食物だった 栄養豊かで食味が良く、多産性の米は、伝来以降、日本人の食生活の基本になりました。 とはいえ、一般の人々が日常的に食べられるようになったのは近世以降です。 それまでは米を口にできるのは荘園領主など身分の高い人。 庶民が主に食べていたのは雑穀や麦、芋などです。 だからこそ米は特別な食物でした。 お産のときに竹筒に入れた米の音を聞かせたり、死者の枕頭に米を供えたり。 江戸時代には大規模な新田開発が行われて米の生産量が大きく増し、庶民も米食が中心になりました。 米と魚の取り合わせの中からは、現在も世界が注目するさまざまな日本料理が生み出されました。 「食の伝統は文化の伝統。 はるかな昔から、米と魚の食文化は私たち日本人の生活に染み付いているんです」 第2次大戦後、アメリカからの食料支援で小麦が入り、また学校給食でパン食が広まりましたが、主食としての米の地位は揺るぎませんでした。 食の西洋化が進み、肉の消費量が魚を上回るのは、1980年代になってから。 けれども私たちは今も、ハンバーグやステーキなどにも米のご飯を添えるのが日常です。 「米を食べなければ力が出ない」という声もよく聞きます。 稲作は自然に寄り添う技術 人間が一度に食べられる量には限度がありますから、少量の味の濃いおかずでたくさんの米飯を食べた昔と違い、副食率が大きく増した現代では当然、米の消費量は減っています。 けれども日本人が米を食べなくなることはありません。 「エスニック料理に向くインディカ米は輸入するとしても、日々の主食であるジャポニカ米は、われわれの文化を守る意味でも自給体制を維持したいもの。 これは、環境的な視点からも大切なことです」 日本の農業は自然とじっくり向き合うことで発達してきました。 特に稲田には、2000年以上の日本の農耕史の中で選び取ってきた、非常に多くの英知が詰まっています。 魚や鳥、昆虫が集まり、そのふんや死骸、草も肥料になる生物の循環。 水と大気の循環。 水田は自然環境に寄り添う、大変高度な技術なのです。 日々の食事の背後にある日本人と米の深い関係…。 稲作によって培われた私たち独自の食文化を、この先もしっかり守り続けたいものです。 原田信男教授 国士舘大学21世紀アジア学部教授。 日本生活文化史・日本文化の研究を通じて、日本の食文化にも精通。 著書に『コメを選んだ日本の歴史』(文春新書)『日本人はなにを食べてきたか』(角川ソフィア文庫)などがある。


和食における「料理」は「口中調味」を前提として発達したという要素もある。

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新潟の米が全国的にも名を馳せるようになったのは、戦後ようやく新潟平野全体が乾田化されるとともに、ここで全国的にも高食味米と代表としてあげられる「コシヒカリ」が栽培されるようになったためである。

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「肉を食べると稲作が失敗するという、肉食のタブーもそのころから出てきたものと思われます。

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米と魚の取り合わせの中からは、現在も世界が注目するさまざまな日本料理が生み出されました。

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甘みとともに、日本人が好きな食感としてもちもちがあります。

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アジア各地でも広く食べられている米ですが、これほどまで主食として確固たる地位を占めているのは日本だけです。

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お米は私たちにとって、あまりにも当たり前の食材であるが故に、その存在も食味も、かなり過小評価されているのではないかと思うのです。

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男性は熊本市中央区水前寺の高校2年生・田﨑翔太さん(17歳)。

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後に中秋の名月に「月見団子」が食べられるが、これはサトイモを模したものであり、この時期に収穫されるサトイモの収穫祭がその一方のルーツであるとの考えもある。

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「口中調味」とは「おかず」(副食)とご飯を一緒に食べて口の中で混ぜ合わせるのである。

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邪魔にならない、押しつけでない、何があっても、あくまでも主役はお客様ということが、徹底されている。

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しかし中でも亀田郷は戦後においてもまだ強湿田であり、その後の土地改良によりようやく今日見るような水田(=乾田)となった。

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