フロロー 判事 - フロローの死…彼が残した、日本語版では訳されていない最期の言葉

フロロー 判事 - キャラクター/【フロロー】

フロロー 判事 - ノートルダムの鐘 (のーとるだむのかね)とは【ピクシブ百科事典】

先日ディズニー映画、の鐘を見ました。 開始早々、荘厳なメロディーと圧倒的な歌唱力、今は亡きディズニーの手書きアニメーションに引き込まれました。 しかしディズニー映画だし、どうせ主人公が醜い容姿でも美しいヒロインとくっつくんだろうなー。 イケメンのフィーバス隊長は当て馬なんだろうなー。 そう思って見ていたら、見事に裏切られました。 世界観はとてもダーク。 主人公が祭りの余興として、公衆の面前で縛られ物を投げられ、笑いものにされます。 しかもこういった虐待の描写が一瞬で終わらないこと、笑いで締めくくられないことに、「今まで見てきたディズニー映画と違うぞ」と戦慄しました。 そこで天使のような女性メラルダが表れ主人公を助けます。 しかし彼女は主人公に人としての優しさをくれても、恋愛感情はくれません。 私はここら辺で、主要男性陣3人の心を奪った美しいメラルダが、誰のものにもならないまま死んでしまうのでは?と予想していました。 恵まれない主人公に感情移入している視聴者としては、好漢にヒロインが持ってかれるという展開は現実的ですがストレスが強く、美しい悲劇としてヒロインが死んでくれたほうがよほど無難な落としどころといえます。 しかしメラルダは無事生きてイケメン隊長とくっつきました。 そして主人公は彼女の幸せを祝福します。 しかし私が知らないだけで、以前からチャレンジしていたんですね。 もちろん、ただつらいだけのストーリーではなく、的な美しい道徳観も随所に見られます。 ジプシー女は「わたしは一人でもやっていける。 けれどもっと恵まれない人々を助けてほしい」と()に祈り、せむし男は自分のものにならない女性を、命を賭して助けます。 人間は強い。 そういうメッセージをこの作品から受け取った気がします。 悪役が高い所から転落して、視聴者に罪悪感を与えず勝手に死んでくれるのは相変わらずですが…。 原作者はなどで有名な。 原作はデジタルコレクションで無料で見られます。 古く長く読みにくいうえに、かなり救いがないを迎えているそうです。 しかしぜひ読みたいですね。 なぜなら原作では今作の悪役フロローについての詳しい描写があるから! の鐘は、いじらしい主人公・カジモド、セクシーで強くて慈悲深いヒロイン・メラルダ、底知れない回し・クロパンなどキャラクターが非常に魅力的です(フィーバスも当て馬面のくせにめちゃくちゃいい奴です)。 特にメラルダは、私がディズニーで一番好きなヒロインになりました。 美しすぎます。 しかし、最も印象的だったのは、このフロロー判事。 どうです?社会的地位があり、当時の基準では高い道徳観をもったおじさんが、若い娘に初恋をして、悩みこじらせ苦しんでいるんですよ。 最高ですね。 フロロー判事には向上心があります。 この向上心は、より正しい人間になろうと努力する意思です。 ただこの志はフロローをジプシーの「浄化」に駆り立てます。 彼の正しさを保障してくれるのは、信仰心です。 しかし彼の持つ正義と誇りをゆるがす試練が訪れます。 「罪の炎」を聞けば、フロローを苦しめているのが 【問題1】邪悪なジプシーに恋をした罪悪感 (ジプシーが逃げたと報告される) 【問題2】恋が叶わない(メラルダが彼を拒絶する)かもしれないこと の二つに分けられることがわかります。 【問題1】清廉潔白な私が、ジプシー女に恋をしてしまった。 【葛藤】恋なんて不潔。 しかも相手は忌々しいジプシー。 これは罪だ。 【答え】だが私は悪くない。 罪は誘惑してきたメラルダにある。 心理学でいう情動焦点型コーピングというやつです。 とんでもなくを欠いた責任転嫁ですね。 本人にも罪の自覚はあるのでしょう。 心象風景で赤いフードの影が、でフロローを責め立てています。 しかし、自分の罪を人に擦り付ければ気持ちが楽になるのは確かで、フロローはいったん「彼女を私のものにする」という結論を出し、スッキリします。 そこでフロローは、メラルダがどこかへ逃げてしまったと知り、 【問題2 】現在メラルダは、私のものではない。 なので手に入れたい。 +私だけが恋に苦しんでいるのは癪にさわるから、彼女にも同じだけこの苦しみを味あわせたい。 【葛藤】私がメラルダを求めるように、メラルダが私を求めなかったらどうしよう。 【答え】いっそ火炙りにして、苦しめて殺してやろう。 フロローは問題2については1と違い、問題そのものを取り除こうとしています。 つまり「自分のものではないメラルダ」というストレッサー(ストレスを与えるもの)を消してしまおうとしたのです。 心理学でいうと、現状を変えることでストレスを取り除こうとする、問題焦点型コーピングです。 どちらもすごいストレス対処行動です。 1は心の中だけの動きなのでまだしも、2にいたっては殺人ですから。 最低ですね、フロロー。 いい年してみっともないです。 しかし同時に、フロローの葛藤は視聴者に、恋愛の避けがたいエゴをつきつけます。 すくなくとも私は彼の身勝手な考えに共感してしまいました。 よく言われることですが、日本語は母音が多いので、歌詞の情報量が圧倒的に少ないです。 そこで英語版を見てみると、フロローは「メラルダを滅ぼせ」「彼女に地獄の炎を味合わせて」「ジプシーよ、今度はお前の番だ」などと言っています。 フロローはメラルダに激しい怒りを覚えているようです。 彼女のせいで自分はこんなに苦しんでいる。 それなのに彼女は私について、そこまで気にしていないないようだ。 私だけが一方的にかき乱されるなんて理不尽だ。 「彼女にも同じ苦しみを味合わせてやる」 このフロローの感情こそ恋だと、私は思います。 激しい恋をしている人は、相手と自分の気持ちの大きさ、もしくは互いのことを考えている時間の不均衡に怒りを覚えずにいられません。 恋が成就したなら憎しみも消えます。 しかしこういった激しい恋心は失われます。 なぜなら「恋」とは「乞い」。 つまり今ないものを求める心の動きを指すからです。 例えば、「あの財布がどうしてもほしい!一目ぼれしちゃった!」というのは恋と呼ぶことができます。 ですが、手に入れたその財布に恋しつづけることはなかなかできません。 あの財布のことを毎日思い出さずにはいられなくて、どうにかお金をひねり出して買ったのに、手に入れた瞬間どうでもよくなるということは、珍しくありません。 恋は手に入れた瞬間から恋ではなくなるのです。 かつての憧憬の対象、恋の残骸に愛を注ぐことは、とても難しいです。 物でも人でも、長く関わっているものに、人は愛着を持ちます。 すくなくとも、具合が悪くなった途端に関係を切っていては、恋が愛に育つことはありません。 フロローが都合の悪くなったものを切り捨てるタイプであるのは、フィーバスの前任者への態度からも想像がつきます。 すなわち、もしフロローがメラルダを手に入れたとしても、数か月もしないうちに飽きてしまったのではないかと私は考えます。 フロローが、祭りで啖呵を切ったメラルダに惚れたなら、愛人のメラルダには興味がない可能性が高い。 自分で脅しておきながら、もし本当に彼女が自分のものになったら「メラルダはそんなことしない!」「命惜しさに体を売るとは卑しいジプシーめ、地獄へ落ちろ!」と罵り始めるフロローが目に浮かびます。 フロローの脳内でメラルダは妖婦ということになっていました。 しかし、心の底では彼も、メラルダが強い博愛を持った女性であると気づいていたのではないでしょうか。 「ジプシー=悪」という彼の信条と矛盾するため認められなかっただけで、フロローは彼女の肉体よりもむしろ、彼女の精神に恋をしていたのかもしれません。 彼は一応()に忠実な人間ですから、メラルダの持つ聖母的な博愛に惹かれたと考えても、不自然ではありません。 (原作を読んだらこの考えも変わるかもしれませんが) 野望くじかれ身を滅ぼしたフロロー。 しかしたとえ、フロローの望み通りにメラルダを手に入れていたとしても、彼は満足できなかったでしょう。 そうなると彼には、人間に恋をしたことを認められずに混乱して、パリの街を焼いたという罪だけが残ります。 望まずに恋に落ちて、どうあがいても恋で破滅する中年フロロー。 とても哀れでいとおしく、悪役なのに好きにならずにはいられませんでした。


喋るオウムのイアーゴを連れ、こき使っている。

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心象風景で赤いフードの影が、でフロローを責め立てています。

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驚いたのはフロローです。

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ディズニー・ルネサンスをもたらしたジェフリー・カッツェンバーグの、『』『』『』『』『』に続くミュージカル路線最終作。

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ディジーの母親。

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ある日、カジモドは、フロローの言いつけを破り道化の祭りに参加し、そこでジプシーの美しい踊り子エスメラルダに出会い、一目惚れする。

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目の傷や黒いタテガミはミステリアスで、シンバとの会話では脱力した大人の余裕さえ感じてしまいますね。

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